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  ■「総合とインターネット」(11)  2003.1執筆

これまで「総合的な学習の時間」の小学校での実際を紹介してきましたが、今回はこの「総合」が生まれた背景についてコラム風(というか風刺風)に書いてみます。(従って私個人の主観や本音ががたっぷり・・・。軽い気持ちで読んで下さい。)

◆「総合」には姉(兄)がいる!
 本年度から、「総合」が全国の小・中で誕生。(高校は来年度から)この「総合」には、実は姉(兄)がいる。10才年上の「生活科」である。(小学校の1,2年生が対象)この「生活科」ちゃんは、生まれてくるときに、実はあまり歓迎されなかった。『自己教育力』や『新しい学力観』を叫ぶ両親(文○省?)が誕生させたのだが、これまでの「社会科」や「理科」という子どもをかわいがっていた先生たちには、これまで大事にしてきた子どもたち(教科)を削って、新しい「生活科」という子ども(教科)をすぐには受け入れられなかった。そして、この「生活科」ちゃんは、育て方がこれまでとちょっと違って、過保護に教え過ぎちゃいけませんよ。自由にほっといたらいいと言われて、先生達は困り、「生活科」ちゃんと一緒に“はい回って”いた。しかし、数年経つとだんだんどうすればいいか分かるようになってきて、生み出した両親も「評価規準」という育て方をしなさいと言うようになった。

◆「総合」出生の秘密!?
 先行きが心配された「生活科」であったが、一人前に成長してきた。そして、『生きる力』と叫ぶようになった両親は、いよいよ新しい子どもを誕生させたいと考えるようになった。本当は、10年前にも生みたいという考えはあったようだが、当時は、生活科ちゃんを生み出すのがやっとであった。新しい子どもは、「総合的な学習の時間」と名付けられた。この長ったらしい名前には訳があった。この子は、これまでの子どもたち(教科)とは、ちょっと違うもので、育て方も先生達が自由にやりなさいというもので、名称も先生達に任せた。先に生まれた「生活科」ちゃんをどうするか両親は悩んだが、そのままにすることにした。そして、この「総合」ちゃんは、小学校だけでなく、中学・高校にも導入することにした。誕生日は平成14年4月と決めたが、「それまでにどんどんやってごらん。新しい教育!自由にやってみよう!」と事前キャンペーンを展開した。
 おかげで「総合」は、前回の「生活科」とは違って、多くの先生たちが歓迎してくれた。特に小学校では、「学級担任」という人が「総合」ちゃんの担当になり、何をしたらよいかは分からないけど、何でもいいからと言われて好きなようにやり始めた。中学校や高校では、「教科担任」の先生達には、よその子扱いされてしまい、「総合」ちゃんの担当がはっきり決まらなくて、「特活」ちゃんと同じ扱いにされてしまったところもあった。

 この「総合」には、実は、両親のいろいろな願いが込められていた。今の子どもたち(教科)では足りないもの、将来の子どもたちの編成(教科再編)を考えて作りたかったものを全てこの「総合」に入れてしまった。「英会話」や「情報」という子どもたちである。両親の耳には、「英語」を小学校でやっていないのはあなたの家(国)だけだという声があったようだ。
 また、両親の友人の間では、『地方分権』という流れが主流となり、両親がごちゃごちゃ細かく言わなくて、地方に任せなさいという雰囲気があった。
しかし、最初は、「総合」の育て方は学校(先生)に任せると言っていた両親であったが、どうも友人や世間からいろいろな声が入ってくるようになり、両親はだまっていられなくなってきた。

◆「総合」の悲劇
 初めは、両親は「総合」の育て方を先生に任せようとした。これまでは、両親が決めた「ねらいや内容」をマニュアル通りすればよかった先生達は、どうすればいいか不安になった。カリキュラムを自分で考えなくてはいけなくなったのである。多くの先生達は、何をすると「総合」になるかをまず考えた。「総合」ちゃんを自己流にやっちゃえ!と自分でやり始める先生もでてきた。ねらいを考えないで、自分の好きな内容を勝手に決めて子どもたちと体験ばかりしている先生。「子どもを大切に」と言って子どもの好きなことばかりしたり、「支援が大切」と言って、何も指導せずにほったらかしにする先生も出てきた。外に出て体験ばかりしている姿に「遊んでいる」という声が聞かれるようになった。
 これではまずいと感じた両親は、「教科との関連」や「評価」を言い出したが、次第に「総合」の育て方について先生達の考え方に違いが見られ、学校による差ができてしまった。
 自分の育て方がはっきりとしていなかった故に「総合」は生まれてきた所によって扱い方が違うという悲劇を生んでしまった。更に、小学校では、「英語やパソコン」といったスキルが必要で教えてもらう面が必要な学習も「総合」に含まれてしまったために、先生たちの混乱を増幅させてしまった。

 更に、「総合」の悲劇は、新しい教育の旗頭となってスタートする1年前から、急に風向きが変わってしまったことである。先生達には歓迎されて迎えられようとしていた「総合」が、『学力低下』という世間の風の矢面に立たされてしまった。『週5日制』や『ゆとり路線』の代表者としての「総合」ちゃんの悪口が言われるようになってしまった。

 そして、実はこのころから両親の中で考え方の違いが見られるようになってきた。「総合」ちゃんがかわいいお父さんは、「学力は新しい学力だ!新学力観!生涯教育!」と相変わらず言っているが、お母さんは、「テストの学力が低下しないようにキソキホンをがんばれ!」と言い出すようになってしまった。このお母さんの一言で、世間や先生たちの多くは、『学力向上!』と叫び、算数・数学や国語のキソの反復練習が大切だと考えるようになってしまった。新しい子として期待されていた「総合」が嫌われ、逆にずっと前からいた教科のキソキホンが大切にされようとしている。

 哀れ「総合」の行く末は・・・?

                         (次号につづく)
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■11月の原稿(9)で紹介した「成長するHPプロジェクト」はおかげさまで2002しまねホームページ大賞の小学生の部の大賞をいただきました。
応援ありがとうございました。
■5月(4)〜7月(6)で紹介した岡山県高松農高と島根加茂小の交流・共同授業の実践は、「学校インターネット中間発表会」1月29日(鹿児島川内市)で事例発表します。<小会場3;10:10-10:50>
■「未来教育ポートフォリオセミナーin鹿児島川内」に私も参加します!
みなさんと一緒に研修できるのを楽しみにしています。
 
随分思い切って今回の原稿を書きました。

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